バ鏡

稚拙で支離滅裂ながらも日々感じたことを書き綴ります

事後報告

こんばんは

合格発表からはや一ヶ月近く経ちましたが未だに夢見心地です。

 

志望校に合格したものの、将来の鮮明なビジョンも特に無いのでとりあえずTOEICの勉強を始めました。

というのも受験勉強が既に生活のルーティンとして組み込まれてしまったらしく、勉強をしないとどうにも罪悪感に苛まれてしまうのでその穴埋めとしてチョイスしました。

 

肝心の勉強方法ですが、受験勉強と大差ありません。毎日配布音源を聴いて復唱、また聴いて復唱....の作業が増えたくらいです。

そうは言っても、今までリスニングの練習をしたことが無いのでパッと聴いただけではどれがどの単語なのか判別出来ませんし、復唱も間に合わないことが多々あります。

 

 

まだまだ道はあまりに遠いですが、亀の歩みで頑張ります。

三日坊主

お久しぶりです。

ブログ開設からまだ日は浅いはずなのですが、既に放置しつつありました。

良くないですね。

 

最近、日本霊異記を読み始めました。

理由は日本書紀古事記大鏡、と歴史説話ばかりでこんがらがった頭の中を整理する為

もう一つは、合格した国語試験に出題されていた古文がこの本から抜粋されたものだったからです。

 

内容は日本版イソップ童話みたいなもので、違う点は各説話ごとに必ずと言っていいほど、仏教的因果思想が絡んでくる点です。

その理由はいたってシンプルで、景戒という因果応報を深く深く信じるお坊さんが著者だからなのです。

 

しつこいくらいの仏教礼賛と因果応報の雨あられでまるで豚骨ラーメンを食べさせられている気分になりますが、それに目をつぶれば非常に面白い説話集です。

 

 

クルシミマス

こんばんは。

受験生の備忘録と銘打っときながら、年内に志望校に受かってしまったのでタイトル変えるつもりです。

 

ついにクリスマスですね。

彼女は今まで居たことがありませんが、イルミネーションはよく行きます。

カップルのイチャイチャに耐えながら鑑賞するのはかなり神経を磨耗しますが、それ以上に楽しいです。

 

NO神頼み

こんばんは。

いよいよ明日が合否発表ということで心配で食事も喉を通ります。

 

突然ですが、神頼みってしますか?

試合前に、試験前に、合否発表前に.....

挙げていけば枚挙にいとまがありません。

 

私の母親も例に漏れず近所の神社に合格祈願をしに行って来てくれました。気持ちはとてもありがたいし、母の献身ぶりには頭が上がりません。

しかし、私自身はあまり神頼みが好きではありません。

 

理由は簡単で、自分なりの精一杯の努力や苦労の末に臨んだ受験の合否をそっくりそのまま神様の判断に委ねてしまうのが、どうもいけ好かないですし、

これで受かって『ありがとう神様!』なんて言ってしまえば、その瞬間これまで心血注いで積み上げてきたものを他でもない自分自身で全否定することになると考えるからです。

 

もしお百度詣りして受かったとしても

それは自分自身で掴み取った合格であって、神様の合格ではありません。

だから胸を張って『自分の力で掴み取った』と豪語しましょう。

 

日本史

こんばんは。

公募推薦を受け終わり、結果発表にガタガタ震えています。

 

落ちていた場合に備えて勉強しなければならないのは重々承知していますが、やはり結果が気になって頭に入りません。

というか、落ちてしまったら日本史が明らかに間に合ってないので為す術なしになってしまいます。

 

こんなことなら春先からコツコツやれば良かったという辞世の句すら浮かんで来ますが、もう過ぎた時間は取り戻せませんし、仕方なく血眼で暗記しています。

 

 

 

福神漬け考察

突然ですが、カレーライスに付いてくる福神漬けの存在意義について考えたことがありますか?

 

昨日食堂でカレーライスを注文し、向かいのテーブルを見るとオプションとして各種漬物がバイキング形式でズラリと並べられていました。

大体何処にでもある、ありふれた光景です。

しかし明らかに福神漬けが他よりも減っていたのを見て、ふと疑問に思いました。

その疑問こそが、

冒頭の『福神漬けに存在意義はあるのか?』

です。

 

本来漬物は際立った味を持たない白米の味をより際立たせる為の、いわば脇役であり、カレーライスの福神漬けもその道理からは外れることは決してありません。

しかし問題はカレーライスの場合白米にカレーがかかり、味は他の追随を許さない程に濃く際立っているのに漬物が何故必要なのか?ということなのです。

そこで3つほど仮説を立ててみました。

検証など行っていないので、信憑性は甚だ欠けていますし、文章もいたって稚拙なものですが読んでいただければ幸いです。

 

1.彩りを添える為

カレーは基本おしなべて茶色です。

(例外的にブルーカレー、イエローカレーなどがありますが、今回は加味しません)

人参を入れてもやはりその濃い茶色に呑まれ、茶色にくすんだ暗いオレンジ色になってしまいますし、何を加えても茶色に染まってしまいます。

 

しかし、そこに外から真っ赤な福神漬けを加えるとどうでしょう。地味な色のカレーが少々華やいだではありませんか!

 

つまり、この仮説における福神漬けは

"食べる為"ではなく"飾る為"に存在する、本来の用途とはかけ離れたものなのです。

 

2.辛さを和らげる為

カレーは周知の通り辛い食べ物です。

しかし人間みんな「辛いもの大好き!」なんて言うはずがありません、辛いものが苦手な人は多数居ます。

そんな人が何もなしに辛いカレーは食べられないでしょう、そんな時に甘めの福神漬けが役に立つのです。

つまり辛さで真っ赤な舌を優しく福神漬けが介抱してくれるイメージですね。

 

つまやらこの仮説における福神漬けは

辛さを軽減する、箸置きの様な存在なのです。

 

3.余ったご飯の為

まず始めに、カレーの食べ方は

1つはスプーンでそのままカレーとご飯をすくい取って食べる方法

もう一つはご飯をあらかじめ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜてから食べる方法

の主に二種類に分けられますが、今回は前者としてお話していきます。

 

カレーをバランス良く食べるのは簡単に見えて案外難しいもので、意識して食べてもほとんどの場合ライスが余ってしまいます。

ちょうど柿ピーのピーナッツばかり食べてしまって、おかきだけになってしまった場合に似ています。

 

そんな時そのまま白米をスプーンで食べてもいいのですが、最後まで美味しく食べたい!

そんな時に福神漬けは存在意義を持つのです。

つまり、カレーライスから白米への転換が福神漬けによって初めて可能になる訳です。

 

この仮説における福神漬けが最も本来の用途に沿っており、福神漬け君も本懐を遂げられるのです。

 

 

以上の3つを挙げてみました。

私見を述べますと、最後の仮説が最も大衆的かと思います。

みなさんはどうお考えでしょうか?