バ鏡

稚拙で支離滅裂ながらも日々感じたことを書き綴ります

国語への愚痴

こんばんは。

つい二日前で年内の全ての試験を終えました。

結果を考えると頭痛がしそうですが、終わったものは最早どうしようもないので次に向けて精進するのみです。

 

二ヶ月あれば長文700は最低でも4周は出来ますし、まだまだ英語を飛躍させる手は腐るほどありますし、各改善点が明白なので気持ちは比較的楽です。

 

しかしそんな英語とは打って変わって、どうしようもないのは国語で、こいつだけは為す術がまるでありません。

その理由は英語数学などとは違い

『これは必ず出る!』とか『この時はこう答えれば大丈夫!』などの一種のヤマ張りを一切許さない非常に変動性に富んだ不確かさにあります。

つまり、どう勉強したとしても、必ずぶっつけ本番になってしまう訳です。

 

特に厄介なのは詩人や哲学者で、彼らは自分の頭の中の物をそのまんま文字に起こし、はっきり言って読者の理解などは二の次にした文章を書き上げます。というか書き殴ります。腹立ちます。

これを趣味として読むならいざ知らず、著者と出題者の意図を汲んで解かねばならないとなると、誰でも嫌になります。

 

一方で建築家などペンを握ること以外を本業とする人達の文は読みやすい物が多く、たとえ試験で出されたとしても気持ちよく読み進めることができ、楽しく解くことが出来ます。

 

難解な文章を書く人は凝り固まった自分の知識をひけらかしたいのか、自分の頭の中のものをただ純粋に引っ張りだしただけなのかは知りません。

しかし、もし前者なのなら二度と文章を書かないで欲しいと思うのです。

とてつもなく優しい文章を書いてくれという訳ではなく、万人に伝わるような配慮をして欲しいのです。